「捩じれ」の誤解。

縦にモノを覚えたり考えたりして点数を稼ぎだすことにより「より良い老後生活」と自分では見ることが到底不可能な「ランクの高い葬儀」を行うことができる21世紀の初頭である今。(「」内はすべて皮肉。ぼくが思うに「良い生活」=「預金額」はどーも納得出来ない所が多々有り。)「縦の知識」は概念的にそれに平行するように別の「知識」もあるわけで「より良い社会的地位」を目的とする「人」の知識を蓄積するタンパク質内にはそれぞれが意識されないままに独立して存在し蓄積されている(おそらく)。ものごとを「同一ライン内」で語る際にそれは相手に通じる言葉として機能するわけであるのだがそれが「急激に横へシフト」させると「相手にとって意味のない言葉」と受けとられる可能性もありかねない。(大抵がその辺で相手の顔に「?」が浮かぶ。「?」自体の持つ意味が分かるのは「?」の意味に関する共通の概念を持つからであり、もし相手の顔に「%」が浮かぶ。という文章だったらさっぱり意味は通じない。)


で、何を思ったのかというとですね、「I just wasn’t made for these times」という名曲がビーチボーイズにあるんですが「そこに書かれている歌詞の内容を全ての人に!」と言うことです。(歌詞はブライアンじゃなくてトニー・アッシャー。ブライアンがどこまで歌詞に口出ししたかは不明ですが)


上記、文章とは直接の関係はないけども「雨の日の正装」は疲れました。
現代では「雨月」を楽しむ心の余裕はなかったわけです。



昨日の一枚。

Pioneers That Got Scalped

Pioneers That Got Scalped

もっと退化してぇ。