活字中毒者(自認)

電車内で本を忘れた状態で、かつ吊り広告も見飽きた物でそんな際の禁断症状で何に目がいくか? 今日の場合、ぼくの目の前に立っている若者のスウェットの龍の絵のバックプリントと共に細かに書かれている英文だった。まだ何とか視力を奇跡的にい1.5で保っているこの両目は小さな文字もお手の物。まぁ、何と言うか読まなかった方が良かったと後で後悔することになるんだけども。(マイルスのDoo-bopのラップの内容を知らなかった方が良かったように。聞き取りは駄目だが英語を読む事が多少なりとも出来る己の語学力を呪うかのように。)内容っていうのが、と書こうと思ったけどもあんまりなのでやっぱり書くのやめます。なんかすげぇ、嫌になったんで。着ている本人も多分、内容を知らないんだろうなぁ、多分だけども「この龍の絵となんか英語書いてあるからカッコいいじゃん。」って気持ちで着てるんだろうなぁ、と思うのですが出来ることならそうでない事を願いたい。そうであったらなかなかセンスいいじゃん。と思うんですが。でもそんな風には見えなかったのですなぁ。(「人は見かけに依らない」というのは事実であるだろうけども「人は目付き」でなんとなく中身が分かるのではないか? というのがぼくの持論。だって「目」という器官はほとんど内蔵を外に露出しているようなもじゃないのだろうか? 人間は耳だけ見るとやたらと動物的なのも実に不思議なことだと思う。ぼくは動物的であるよりもより植物的願望が強いのかどうなのか分からないが髪の毛で耳を隠す傾向がある。やっぱり「引き蘢り」の第一世代だからなんですかねぇ。医者に行った時にどうも一回目の「鬱」の傾向が現れたのは17歳の時だったようですし。これはあくまで彼の推測。こちらにはそんな自覚は一切なし。)


ともかく今日の買い物はトイザらスで鉄琴(子供用のおもちゃ)、あと帰りの禁断症状回避の為にレイモンド・カーヴァーの短編集。この時期になると「サマー・スティールヘッド」が無性に読み返したくなるわけなので。ぼくはこんな少年じゃなかったけどもと書き添えておかないと勘違いされそうなのがとても恐いのだが。



今日の一枚。

Trapeziste

Trapeziste

素敵なエレクトロニカとジャズ。(まったくの皮肉なしです。)



渋谷系という呪縛って何時になったら解けるのだろう? この「括り」のおかげでどれだけの人が避けているのだろう? 変態という「括り」のおかげでザッパを聴かない人がいるように。(特に「バンやろ」世代のぼくと同世代人)「ジャンルのこだわりなく音楽を聴く」と言う人の言葉はまったく信用できないけども世論だけで「物事の正否」を考えるってのは「馬鹿げてますなぁー!!」と声高々に偉そうに書いておきます。
でもこういう事を言う事自体が既にYMO『増殖』で皮肉られているんだよなぁ。