くたばれキャベツ野郎

以下、短編小説。


「世間と接していないなぼくってやつは、もう。」と。せまーい世間に対して接しられない自分に実に悲観的な過独り言を広川太一郎の似てない物まねでして巣鴨駅のなんだか小規模なそれでも古風なチンピラはいますよ、とタバコの自動販売機に書かれているような飲屋街をゲンズブールを聴きながら通り抜ける。駅前の書店には探している本はむろんのことなくて、頭痛薬が切れてしまいどうも左目の裏側にスプーンを押し付けられたようなあの嫌な感覚に捕われたので今日の寄り道は止めにして家に今すぐ帰りたいなぁ、なんていうものすごく薄っぺらなホームシック感を覚える。(一番はじめにホームシックに陥ったので小学2年か3年生の頃でちゃんとまともに調べれば分かるのだろうけども確か『火の鳥 鳳凰編』の角川アニメの映画が公開された夏だったということは確実だったと思う。その年の学校提出の絵日記にはその数日が空白のままだったという記憶もあるのでその線から調べることもできるかも知れない。(大学進学時にまとめて捨てちゃった気もするけども))それから大塚を抜け池袋に至る。電車に乗りたくない時もたまにあるものだから。しかしこの辺一帯、ー巣鴨と大塚の間、および大塚から池袋のサンシャイン裏にかけてー の道は暗い。暗さで言ったらぼくの生まれて育ったところの方がほんとに真っ暗なんだけども質が違うから比べても仕方がない。「くたばるキャベツ野郎」(あえて「くたばる」)とは多分、いまのぼくのような状態を指すのだろう。
でここで電話のベルが鳴り続けているのまかせて無視していた彼は遂に受話器に手を伸ばす。


(手が受話器の所に伸びたところで唐突にフェードアウト及び沈黙の後に映像の倍速逆回転。そのままエンディングロールで気の利いた静かなとても小さな音の音楽が流れる。できればギターとスネアはノイジーな。)



今日の一枚。

くたばれキャベツ野郎

くたばれキャベツ野郎