1980年からの日記。

年末になると(というか大型の連休になると)長編のガッチガッチのミステリが読みたくなるという病気をぼくは十代の半ばから患っている。


この病気のはじまりは元々、テレビなんかでの怪奇特集やらぼくの子供の頃にひょっとしたらブームだったのかもしれないけどもケイブンシャの大百科シリーズのこれまた怪奇モノなんかを読むのが好きでその延長線上にあったのが乱歩だったり正史だったりしたわけで、とりわけ角川文庫の表紙がそそられたんですなぁ、中学生にして『夜の黒豹』のメイントリックに関しては刺激があるわけです。で、カバーには名前があるのに書店では見かけない本なんかを取り寄せてもらっている内に「絶版」という言葉を知りまして、今みたいに女子供が悪い意味でポップに出入り出来る状態でないカビ臭い古本屋に通うという今に至るぼくの行動原理が出来上がり、ぼくにとっての『Yの悲劇』のネタばらしの犯人である山本正夫の存在を知り、高木彬光らを読みふけりですね、当時、とても盛り上がっていた新本格の作家陣の諸作品を乱読し後書きやらインタビューやらでカーやらクィーンやらに影響を受けた事を知り、何故彼らが新本格なんていう名で括られているのかが正史やらの時代と絡むという蘊蓄を得てという読む事に関しては困らない幸せな時期を過ごせた訳なんです。


やがて自分でお金を得る事が出来る年齢になりかつ学生の頃からアホみたいにそれらの本を集め続けているとですね、やっぱりそういった類いの本、持っていない読んでいない本と言うのは少なくなってくるんですなぁ。現在の書店で毎月並ぶ新刊の新書形態のモノに関しては食わず嫌いの所もあるので否定するわけでもないんですが、なんか違うとぼくの第六感が言っている訳ですし、かって古書店で「うぎゃー」ってくらいですね、高額な値札の貼られていた本に関しても復刻されていく傾向にあるようなので手も出したくない。(どーしても欲しいのは買っちゃいますが。)
なんで何を読んだら良いのか分からない状態がここ数年続いているのが現状でありまして仕方がないのでマルクスやらハイデガー、ドゥールズ=ガタリを読んでいるという、罰当たりな事をしているわけなのです。



密かに付けている日記の一番初めの日付は西暦で言うと1980年だから今年で26年。
ぼくにとっての問題は煙草をやめるとかではなく如何にしてこの活字中毒に対処していくか? であるのかも知れない。



さて、今年は何を読もうか?



今日の一枚。

アメリカの空

アメリカの空