散歩者

東京タワーを背にして日比谷方面にスーツ姿の人たちを眺めながらふらふら歩くのがここ数日の「ものごとを考える時間」に割当てられている。途中、内幸町の駅のちょっと手前にお気に入りの書店があるのでそこでいくつか本を買うというのも含まれているのだけれどもここで取り扱っている書籍の類いは「ぼくの趣味、ど真ん中」なわけでとても嬉しい。現在居をかまえているところにもこういった書店が欲しいんだけども。(知る限り古本屋も一軒しかねぇ。)


ヘッドホンではコルトレーンが「ブベッ、ブベッ」と眉間に皺を寄せながら(想像では。)ブローしている。日によってそれはエリック・ドルフィーだったりマイルスだったりマーティン・ニューウェル(現在、何をやっているんだろ? この人は)だったりと変わるのだけれども少しだけ寒くなってきた今ぐらいの季節には何を聴いたっていいに決まっている。(無論、体にとって。暑いのは好きだが「汗かくのはどーも」という軟弱人間に成り下がったが為。最近、ぼくを「逞しきインドア派」と評した友人がいるのだけれども言い得ていると思う。それでも体脂肪率かーなりダウン。ここ数年で多分一番、今が痩せてる。人間椅子の「ヘビィメタルの逆襲」でも聴きたい気分。)


で、歩きながら考えたのだけれども「自然破壊が進み季節感が街から失われていっている」という問題の解決策として「日本の街中から極力のこと針葉樹をなくして落葉樹だらけにする」というのはどうだろうか? 季節はこの先も前倒し的にズレていくのだろうけども視覚的には「四季」という感覚の復権には役立つのではないかな? と思うのだけれども。「月の感覚を給料日中心で捉えているぼくのような現代病」な人が多くを占める今には必要ないのかも知れないけども。


今、思いついたのだけれども、これを進めていくと「秋の行楽」が地方にもたらす収益をマイナスにしてしまう為に新たな社会問題が起きるのかも知れない。資本主義を中心として考えると「視覚的満足感」というものもお金に換算できるのですなぁ。



ともかく、どーなるんだ? 
新政権。
「戦争、オッケー!」って言う考えかただけは取らないで欲しい。
日本人の偉いところは「戦争しない」ってところじゃなかったのか。
例えそれが戦後の占領軍による憲法草案に寄るものだったとしても。
いい加減なこのぼくがこんなことを考えているんだからきっと世間はもっと大きく考えているんだろうと思う。
しかし街頭インタビューでおばちゃんに対して「消費税引き上げ」に関する質問をするのはやめて欲しい。
だって彼女たちの頭の中は・・・・・・でいっぱいだから・・の事なんて考えてないじゃん。




今日の一枚。

テクノデリック

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